里山の原風景が残る松本市「四賀地区」を行き当たりばったりでサイクリング

 天気が良かったので松本市街地をゆるポタすべく出発しました。翌日以降は雨が続くようで貴重な晴れです。のんびり走って最後は松本城に立ち寄って帰ろうなどと思っていたわけですが気の赴くままに走っていたら松本市の陸の孤島と言って差し支えない「四賀地区」に来てしまいました。

気まぐれでフラフラする悪い癖が発動……

 芥子坊主公園付近まで来たところでいずれは「四賀地区(旧四賀村)にも自転車で行きたいなぁ」と思っていたことを思い出します。福寿草群生地もあり今年は春先に行こうと思っていたのですが予定が合わず行けませんでした。

 国道143号線と県道255線の分岐から四賀地区に向かうまでの道路状況はどんな感じなのかと思い「少し覗くだけ……」と自転車を走らせます。そうしたところ思ったよりも急な下り坂が続いてあっという間に四賀地区・安曇野市の分岐(国道143号線と県道55線の分岐)まで来てしまいました。

 ここで心の中でもう1人の私が語りかけてきます。

「ゆるポタのつもりだったから補給食を持ってきてないしボトルの水しかないでしょ。しかも財布も持ってきていない。何かあっても輪行もできないからここで引き返すべきだよ」

 確かにゆるポタのつもりで出発したので補給はボトルの水しかありません。さらにすぐ帰るつもりだったので財布もありません。サドルバッグにはパンク修理道具はありますが……。

「いやいや、タイヤがパンクした場合にお前は外でグラベルタイヤを外せるのか? チューブレス化の作業で手こずった様子から絶望的だろ? パコンってタイヤ外すのに何時間手こずったよ? 今回はここで撤退を……」

「まぁ、ちょっと様子見て引き返すよ」

「えっ!? ちょっ!? お前っ……」

 一方的に自己完結して走り出します。急な坂とかあるはずなのでそこで音を上げて引き返すことになるでしょう。 

四賀地区に到着しちゃった

 ちょっと様子を覗くつもりがあれよあれよと自転車でスイスイ進んでしまい四賀地区に到着しちゃいました。

 もう1人の私が心の中で罵声を浴びせてきます。

「お前、バッカじゃねぇの!!」

 自らがやったことなので言い訳するつもりはありませんが私だけが悪いわけではありません。RENEGADE S2がスイスイと進んでしまったことにも原因があると思うのです(責任転嫁)。このあたりはロードバイク系の走行性能の高さゆえか。

「あの坂、結構斜度あるよ……」と思いつつ何だかんだと走れてしまうRENEGADE S2さん

 とりあえず近くの「松本市四賀化石館」前で休憩します。

 バス停の看板が2つありますがアルピコの看板はボロボロすぎてまったく判読できません。

 市営バスの看板に記載の地図を見ると2系統で路線が設けられていることがわかります。このマップを見ながらどうやって帰ったものかと悩みます。

 来た道を戻るのが無難ですが途中のトンネルと登り坂の存在を思い返すと若干憂鬱になります。だからと言って安曇野市の「明科」に抜けていくと大回りで長くなります。

 本来、距離だけが長くなる分には特に問題ありません。しかし、今回は行き当たりばったりで来た関係で補給食どころか財布(お金・カード類)もありません。サドルバッグに輪行袋を入れっぱなしにしていますが財布が無いため輪行もできず意味を為しません。万が一、機材トラブルで押していくことになった場合は夜の山道をとぼとぼ歩くことになります。

 どうしようかなと思いつつも四賀地区に来てしまったので散策しながら考えようと化石館を出発。今年は来れなかった「福寿草群生地」に来ました。

 とっくに福寿草の時期は終わっているので何もありません。場所は把握できたので来年は来ようと思います。

かつての善光寺街道「会田宿」へ

 引き続き国道143号線を筑北村・上田市方向に走ります。国道から見下ろした保福寺川沿いの景色はなかなかのものです。県道302号線と挟まれる地形で長閑な田園景色が広がります。

 うろ覚えなのですが昔この辺りの河岸で化石探しをした記憶があります。大物は出てきませんが葉や貝の化石あたりは出てきたはずです。

 下に降りて行って走ったら楽しいだろうなと思いつつ装備や帰りのことがあるので余計なことはやめておきます。夏に再訪するつもりなのでその時のお楽しみとしておきます。決して負け惜しみではない……。

あの山の向こう側が青木村・上田市です

 「四賀東簡易郵便局」近くの召田交差点で左折します。直進すると青木峠を経て青木村・上田市に抜けます。さすがにそこまでは行けないので県道303号線で明科方面に向かいます。

 草が生い茂っていて近づけないのですが大きなマップ看板が設置されています。なんと「アルプス展望しののめのみち」と書いてあります。

 以前に何回か走っている塩尻市〜松本市の区間の眺めの良い道です。松本市街地を走っているのは知っていましたがここまで続いているものだったのですね。地図で見ると狭く思えますが実際に走ったらそこそこ長いです。

 国道と県道を渡す虚空蔵大橋からの安曇野市方向の眺め。雲がかかってしまっていますがあの辺りに常念岳などが見えるはず。

 県道を進んで「会田宿」に到着。会田宿は善光寺街道の宿場町の一つです。戦国時代に会田氏が虚空蔵山に山城を築き、城下町を整備したことに始まり、江戸慶長年間に宿場町として形成されました。山を越えて筑北村の西条方面に進んでいくと以前に投稿した「青柳宿」に繋がります。

 往時は「上田方面」、「西条・姨捨山・善光寺方面」、「明科方面の千国街道」と各方面に交差する関係から交通の要衝として栄えたそうです。鉄道の開通で一気に寂れたわけですが現在でも沿道の民家には「〇〇屋」などと屋号の表札もかけられており会田宿の面影が残っています(個人宅なので写真無し)。

 余談になりますが上の解説文に記載の「海野氏」は現在放送中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で木曽義高に付き従っていた海野幸氏の家系です。

 こちらは善光寺街道に設置されている「常夜灯」です。安政2年(1855年)建立の一対の常夜灯で高遠の石工によるものだそうです。

 千国街道(塩の道)の石仏に続いてこちらも高遠の石工の作とは。よほど石材・職人ともに評価が高かったのでしょう。

会田宿はさらん西条側に進むと「岩井観音堂」・「乱橋宿」などがあるのですがそれはまた別の機会にとっておきます。何せ今回は装備が……以下略。

四賀地区は里山の原風景を色濃く残すエリア

 会田宿の当時の面影を一部見ることもできたのでさすがに帰ることにします。時間と距離の関係から無難に来た道を戻ることにします。ただ、化石館までは善光寺街道のルートを走ることにしました。

 やたら大きくて立派な建物が見えましたが「松本市四賀支所」とのこと。かつての村に似つかわしくない立派すぎる建物です(失礼)。もしやこれが松本市との合併で引き出したものだったのかと勝手に邪推してしまいます。

 現在の四賀地区は松本市に含まれますが四方を山に囲まれ「陸の孤島」と言って差し支えないエリアです。移住促進に力を入れているそうですが個人的には日用品の買い出し、急な医療、交通の便などを考えると車があっても躊躇するところがあります。特に車が無い子供にとっては長閑ではあるけど吉と出るか凶と出るか微妙な環境。

会田宿に向かう際に走った国道が見えます。

 散々な評を書きましたが個人的には幼い時から何度か来たことのあるエリアで多少の愛着もあります。会田宿など歴史的な面影が残っており、長閑な里山の風景は間違いなく四賀地区の魅力と言えるでしょう。自転車で走ったのは今回が初めてでしたが田園風景を眺めつつのんびり走るには楽しいエリアだと思いました。

 今回は気まぐれから山越えサイクリングになってしまいましたがこれはこれで楽しめました(その代わり松本市に入るところは地獄でしたが)。以前にお隣の筑北村をサイクリングしましたが善光寺街道関係も回りたいところがあるので四賀地区には再訪したいと思っています。その時はちゃんと装備は整えてから行きます。

化石館を発ってからのルートログ。次回は脇道も走りたい。