重要文化財「馬場家住宅」に行ってきました

  • 2021年5月1日
  • 2021年5月1日
  • 旅行

 以前にミニベロでサイクリングした際に江戸時代末期の民家建築物である重要文化財「馬場家住宅」に行きました。

「馬場家住宅」について

 馬場家住宅は松本市東南部の内田地区に建つ木造の「本棟造り」の民家建築です。建物によって差異がありますが江戸時代末期の建築です。

 1992年(平成4年)に現在の馬場家当主の馬場太郎氏より敷地の西半分とそこに建つ主屋などが松本市に寄付、松本市が復元修理を実施し今の姿になっています。「江戸時代末期の長野県西南部を代表する民家建築」として1996年(平成8年)に重要文化財に指定されています。

 馬場家住宅に関しては建物だけではなく「敷地と景観込み」で重要文化財だそうです。

「馬場家」とは?

 伝承によると武田信玄の家臣ゆかりの家とされ、武田氏滅亡を契機に現在の馬場家住宅の前身にあたる建物を建てたそうです。江戸時代には広大な田畑を持ち農業を営んでいます。領主である高島藩藩主諏訪氏と親密な関係を持ち高い格式を持つ家であったとされます。

表門からの眺め

 以前の記事でも触れましたが馬場家住宅前の景色は北アルプスと市街地が見渡すことができ素晴らしい眺望です。行った時には菜の花も咲いていたので春の色鮮やかな景色が楽しめました。

 ちなみに私が建物前で撮っていた小さい赤の鳥居が建っている場所は「祝殿」と言うそうです。馬場家の屋敷神の「古屋敷稲荷大明神」が祀られています。また、その背後にあるケヤキは推定樹齢800年以上とされ松本市の特別天然記念物に指定されています。

表門と左右の長屋

 正面の表門左右には長屋があります。明治期には片丘村の役場、巡査の執務室、住み込み大工の部屋、倉庫など多岐にわたり利用されたようです。

 現在は機織りや養蚕などの資料室として使用されています。

中門

 表門を通過すると正面に主屋がありますが向かって右側に「中門」があります。現在は締め切られていますが当時は高島藩藩主が訪れた際のみ使用されたようです。

主屋

 馬場家住宅のメインと言って良い建物です。建築物分野は門外漢ですが「雀おどし」と呼ばれる棟飾り、切り妻造の屋根、妻の壁の格子窓などは長野県西南部に見られる典型的な「本棟造り」と呼ばれる様式だそうです。このあたりは他の都道府県の民家と比較しながら見ないとピンと来ないですね。

 主な生活の場となった建物なので台所や居間などが備わっています。

 主屋の平面図ですが部屋の名称が独特です。とくに「おえ(居間にあたる)」、「かみおえ(日常の客室にあたる)」というのは初めて聞く名前。

 奥に見えるのは「ザシキ」。高島藩主など特別なお客様のみが利用したお部屋だそうです。

 主屋の中でも面白いなと思ったので「コザシキ」という部屋。当主の部屋だったそうですが当時の世情を伺わせるギミックが備わっています。

 一見するとただの地袋に見えますが・・・。

 戸を引くと隣の部屋(ネマ)に抜けられます。

 隣の部屋に移動して収納を兼ねた階段を利用し2階に抜け屋根伝いに逃げ出せるようになっています。このような仕掛けからも「幕末」という当時の不安定な世情を垣間見ることができます。

文庫蔵

 名前の通り文書や家財道具を保管するための蔵です。現在は馬場家に関係する資料などが展示されています。展示品の中には「裃」や「笠」など家格の高さを伺わせる品もあります。

 籠も展示されていますが当時の日本人の身長を窺い知ることのできるサイズ感でした。

 ほかにも15代目当主の馬場称徳氏に関する資料が展示されています。この方は外交官として1914年(大正3年)に革命が起こっていたメキシコに派遣され日本人捕虜や移民の救出活動にあたっています。

 他にも色々ありますが江戸時代当時の民家住宅や暮らしを伺い知ることのできる物的史料として見どころある建物だと思います。松本市街地から少し上ったところにあり極端に遠いわけでもなく広めの駐車場もあるので機会があれば立ち寄ってみることをオススメします。

 この時は時間の関係で行けませんでしたが牛伏川を上っていくと「牛伏川本流水路(フランス式階段工)」もあるのでこちらも行ってみたいと思います。