ミニベロで安曇野エリアをサイクリングしてきました。ただ走るのもつまらないので豊科郷土博物館の展示を見に行くことにしました。ちょうど「八面大王と田村麻呂」という企画展示が実施中だったのでこの機会に行くことにした次第。
この日は白馬村まで桜を見にサイクリング するつもりでしたが雲が出ており翌日に延期することにしました。安曇野市も山に雲がかかっています。
ちなみに翌日の白馬村が下の画像……
オイッ!!
結局いつ行っても大して変わらない結果になりましたとさ……。
話を戻して景色を眺めつつミニベロで博物館に向かいます。どういうルートで行こうかと考えつつ「あづみ野やまびこ自転車道」を走ります。
豊科郷土博物館に到着。場所は知っていましたが道順はほとんど調べずに向かったので国道を避けつつ適当な道を走りました。このエリアは遠くからでもサティ………じゃなかった、イオンのピンク(マゼンタかな)色の建物上部が見えるのでそれを目印にどの辺にいいるのか把握できます。今回の博物館もイオンのすぐ近くなのでおおよその向かうべき方向がわかりやすいです。(あとは電波塔が目立つ目印になりますね)
初めて来ましたがあまり博物館という見た目では無いですね。博物館と企画展示の看板が出ていたので博物館とわかる感じです。よく見ると入り口横に道祖神が鎮座しています。
博物館展示内容の写真をブログやSNSにアップできないので展示については割愛。この企画展示は安曇野地域に伝わる昔話の「八面大王」にまつわる内容となっています。地元に残る地図や史料に残る八面大王の痕跡を紹介するといった内容でした。
八面大王の昔話は安曇野で悪さをしていた鬼(『魏志鬼・八面大王とも)を都からやってきた坂上田村麻呂に討伐するという内容です。これに付随して矢助という話もあります。
この話は全国によくある鬼伝説・英雄譚・動物報恩譚の要素を持った話で少なくとも史実ではありません。『仁科濫觴記』などいくつかの史料に出てくる話ですが、「八面大王とされる者とその勢力」と「仁科氏など他氏族」の争いがお話しのベースなのだとされています。仁科氏といえば安曇氏とも争うのでなんとなく推察できる部分はあります。
八面大王については話によって鬼でもあり英雄でもある複雑な性格を帯びています。また、この地に移住してきた「安曇氏」との関連性も示唆されるなど興味深い対象ではあります。肝心の「史料」ベースでの調査には限界があるのが悔やまれるところです。
*余談ですが八面大王について坂本博という方の著作『信濃安曇族の謎を追う どこから来て、どこへ消えたか』があり発売当時に興味深く読んだ記憶があります。安曇氏の移住について「磐井の乱」との関連性、八面大王と福岡県八女市など興味深い内容でした。
昨今の情勢柄、飲食店で食事がしにくいので「あづみ堂」でおやきを買って昼食にしました。通りかかりに見た感じではどこの飲食店もそこそこ人が入っているのでなおのこと寄りにくいです。
豊科は高速道路のインターチェンジもあるのでお店や飲食店が多いエリアです。この辺りだと「いけまつ」や「小柴屋」は美味しいと思います。あと、某豚骨ラーメン店も人気でよく名前が挙がりますが私は匂いでダメでした……。同じドロリ濃厚系ラーメンでも「天下一品」の方がはるかに食べやすいと思います。という余談でした。
企画展示を見てきた後は豊科エリアをゆるポタしつつ帰路につきました。そういえば八面大王や安曇氏で思い出しましたが穂高神社ではもうすぐ「式年遷宮」の行事が行われます。最近は新聞などにもその記事が出ています。混雑具合によりますがそちらにも足を向けてみようかと思います。